すきまの先

ここの前を通るたび、見上げてしまう。ビルとビルのすきまの階段その先の空。

 

 

そしていつも思い出すんだよ。

この階段の先の青空を。

どこかヨーロッパみたいだけど、

ノンノン!沖縄、那覇、公設市場あたりのごちゃごちゃアーケードの中ふっと見つけたすきまの空。

上の方にはシーサーもあるよ。

見っけてみてね。

 

 

賢治の旅<1990→2020>その4*花巻

滞在23時間の賢治の旅2020、
花巻にももちろん行ってきましたよ。
新幹線で盛岡→新花巻から賢治記念館へ。
1990では、イギリス海岸や
花巻農学校の敷地内にある
羅須地人協会にも行きましたが、
今回は諦めました。
賢治記念館、手荷物はロッカーではなく、
事務所で預かってくれるのですね。
なんだかほっこりました。
30年前、私が一番印象的だったのは、
賢治がセメント会社の
営業マンをしているときの名刺が
展示されてたことなんです。
賢治先生がとても身近に感じた瞬間で、
なんだかムネがいっぱいになったのを覚えています。
今回はそれは見つからず、残念でした。

でもゆっくり見れたし、さあ東京へ帰ろうと、
記念館の門を出て、ふと振り返ると。
すぐ隣に立派な参道があるではないですか。

30年前はなぜ気付かなかったのだろう。
吸い込まれるように歩いてみた。

実は、こんな館の夢をみたばかりだったので、
ちょっとびっくりでした。
意味はなさそうですが。

神社を出て、新花巻駅までの道、
とぼとぼと歩いていると、
黄金の草穂に出会いました!
黄金、、と賢治先生は書いているんですよ。
でも、枯れた草穂が黄金とは、
それは大袈裟だな、
賢治には黄金にひってきするのだろうけど、
と思ってました。
そしたら!
イーハトーブではほんとに黄金なのでした!

最後の最後に
賢治先生から
プレゼントをもらったような気分なりました。

冷麺もわんこそばもじゃじゃ麺も
食べられませんでしたが、、
盛岡駅で福田パンを買って、
新幹線で、
車窓から田んぼで寛ぐ白鳥を見ながら
食べました。

 

賢治の旅シリーズはこれでおしまい。
もっと早く、アップできれば良かったのですが、、
遅くてすみません。。。m(__)m
しかも4回飛び飛びのアップで、
ごめんなさい。
読んでくださり、ありがとうございました。

私の中の賢治展の作品やギャラリーの様子など
合わせてみていただけたら幸いです。

今度行ける日が来たら、
岩手山、ドカドカとムネ鳴らしながら、
登ってみたいな。
七つ森でのんびり「雲見」したいな。
小岩井の羊になりたいな。
馬吉みたいにオペラ歌う馬と話したいな。

そんな日が早く来ますように。

私の中の賢治展、
巡回展ができるかどうかはまだ未定ですが、
時間切れで描きそびれたものも
作品追加したいと考えています。
合わせてライブでお会いできる日が
いつか来ますように。

賢治の旅<1990→2020>その3*盛岡 

小岩井からバスで盛岡へ帰って来まして
夕暮れの開運橋からの岩手山2020です。
以前と比べると
岩手山が川の先感が薄れたような気がしましたが
河岸にできたマンションが
ちょっと風景に入ってきてしまうせいかな
と感じました。
‥そんなことを
誰かも言ってたような。

三日月と飛行機雲!

に背中押されながら
光原社を目指したのですが

光原社
知る人ぞ知る
賢治の聖地そして
盛岡のステキスポット
小さな小さな広場のような中庭を囲んで
ショップ、ギャラリー、カフェがあって

小岩井の火照りを沈めるにはあそこ!
と一目散に目指したのですが
カフェは休業中でした。
残念。

代わりに
というか
川沿いにできたオープンカフェで
気持ちのいい風に吹かれてみました。

いい感じにお店が並んでて
これまでの盛岡のイメージともちょっと違うけど
これもありみたいな

‥というのも
誰かに聞いたような。

このあと
少し、お城の公園のほうへ行ってみました。
1990では
一泊を今回と同じ駅すぐのホテル
もう一泊を県庁の近くの
北ホテルというところに泊まりました。
‥ということは
すっかり忘れていのだけれど
(その1に書いた虹事件のインパクトばかり記憶に残り💦)
今回行くんだ〜と話した数少ない友達のうち二人から
あのときの北ホテルに泊まるの?
と言われて初めて思い出しました。
そうだそうだ。
帰ってきてそんな話したっけ。
一番興味津々聞いてくれたYさんは
もう天国に行っちゃったけど。
そして
北ホテルはパリにもあると教えてくれた友達は
今パリに住んでいる!
30年の歳月です。

今回時間がなかったこともあり
駅から離れた北ホテルには泊まれなかったので
みんながそんなにいうならと
前まで行こうかと思ったのだけど
アーケードな繁華街は
あのときとは全く違う印象で
コロナ禍ということがあったからかな。
サラリーマンの街という雰囲気
お店もそんな場所しか開いてなく
ちょっと怖い感じもして
すぐ戻りました。

いつかまた行けたら
北ホテル
絶対行こう。

そして翌朝。

早起きしたので
まだ明るくなる前に
お散歩に出てみた。

そして歩き始めてすぐ。
川沿いのこの木を何気に見て

あ!
となりました。

1990のとき、一番最後に寄ったのが
この橋のたもとにあったぽぷら館という名前の
喫茶店。
川に向いて窓もあったので、
帰りの新幹線までの時間
ちょっとゆっくりお茶飲んで
旅の灌漑にふけろうと入りました。

そしたら

客はわたしひとり。
もちろん窓沿いの席に。
すると、座ってまもなく、
橋の上から誰かが花束を川に投げたところを
目撃してしまったのでした。
ちょっとびっくりして
今、お花を投げた方が。。という話を
やはりたったひとりカウンターにいた
お店の方とお話しし始めて、
年配の女性の方だったけど
すごく気さくで
ひとりで来たの?と
あれこれ切り込んできて
すごい短い間に
けっこうな話をして
濃い時間を過ごしました。

旅の最後にとても印象的な出来事だったので
帰ってから
年賀状か何かに
葉書を出したら
お返事も来たような。
でもそのあとは
音信不通になりました。

ぽぷら館でそんな時間を過ごした話を
お山の絵を描くイラストレーターのNさんに
最近話してたら
ぽぷら館はもうないけど
ぽぷらの木はあるよ
という話を聞いてたけど
イマイチどういうことか
それはわたしが知ってるのとは違う場所では
と思ったりしてたのを、、

このプレート見て、
思い出しました!

そういうことなんです!
91年秋ですよ。
ぎり一年前だったのです。
そのママさんも亡くなったとどこかで読みました。
もし一年ずれてたら
あの思い出はなかったと思うと
不思議です。
そして皆に愛される人気なお店だったのに
あのときお客はわたしだけだったから
お話ししたというのも
ご縁ですよね。

そして
護岸のカフェの話など誰かに聞いたようなの
誰かとは
すべてそのNさんからだった
ってことも一気に思い出しました。。
イメージがないと
記憶はあやふやになるのですね。
(というか、ちゃんと聞いてない💦)

そうして朝散歩した川べりの道
そんなお散歩道ができてるよ
ということも前にお話ししてくれてたなあ。

‥ほんとうに良い道で!

カフェや岩手山とは反対方向に向かって歩きました。

ぐるっと回って帰り道。
橋の近くまで戻ると
何か白い大きな鳥がぐわーっと
橋の下をくぐって行ったような。
ん??
気のせいだったかな?
と思ってたら。
くぅーーっと声がして
見上げると
駅前のあたり
鳥の群れが編隊を組んで飛んで行きました。

あー。雁かな。
と思ってたら。

ホテルに帰って
帰り際のフロントで
昨日バスの中からカモメのような鳥を見た。
でもカモメが内陸の盛岡にはいませんよね?
と実は30年前にも泊まりましたの話の続きでしてみたら、

あー。いるわけないんですが、
わかります、わたしも見たことあるんですよ。
と。
そっか。
カモメすごいな。
こんなところまで来るんだ〜
と思ってたら

まあ、今の時期でしたら、
白鳥がきますけどね。
‥という。
へー。
白鳥、か。見たいな。
と思って
さっきの群れの写真を
何気に大きくして見てみたら、

首、長い!

朝陽浴びてるが
白い!

そういえば
くぅーって鳴いてた!

白鳥だったんだー。

と思ったら、

そのあと盛岡から賢治記念館の新花巻へとむかう新幹線の中から、
何度も何度も
白鳥の飛来を見ました。
並んで飛んでました。

昨日のカモメも多分は白鳥だったと思う。
首、真横でないと、あの長さはわかりづらいと初めて気づいた。
ホテルマンが見たのも、たぶん、、、(^^)

賢治先生からは脱線ばかりですみません。

では
次で最後、花巻です。

賢治の旅<1990→2020>その2*岩手山と小岩井

2020.11.17
30周年賢治の旅
盛岡着いてすぐの空。
まずここへ来ました、
駅からまっすぐ
徒歩5分の開運橋からの
岩手山。
初めて訪れた1990年
この景色にとても染み入りました。
駅前にグリーンな草野原の護岸な北上川
その先に雄大な岩手山。
でもそのときは
降ったり止んだりのお天気だったので
こんなにくっきり
雪の跡までは見えなかったように思います。

ホテルにチェックインして
(ホテルも30年前と同じホテル!)
小岩井に向かうバスを待ちました。
30年前は
鉄道に乗りたくて
田沢湖線に乗って2つ目の小岩駅で降りて
歩いたのでした。
今回は1時間に1本あったりなかったりする
電車はちっとも新幹線とは連携してなく
2時間近く待たないとなく、
小岩井農場まきばえんにつく頃は
閉園近くになってしまうので
仕方なくバスに。
1990年は歩いたせいで
まきばえんに着く頃はもう真っ暗で閉園。
でもその途中の道が
もう賢治の詩「小岩井農場」そのもので
賢治先生とお話ししてるかのような気持ちになり
感無量でした。
そして
ちょっと不思議なこともありました。

その30年前の小岩井駅からの道です。
ひとっ子ひとりいない。
それまで体験したことのないような
静かな広い世界に包まれる至福。

人はいないけど
ひつじはたくさんいました。
撮ってないけど
牛もいた。

湿った草地に
気持ちよさそに草食べてました。

ときどき晴れ間も見えたのね。
台風だからね。
だから寒くはなかったと思う。
ちょっと熱風。
でも12月だから
でも12月だというのに
初夏くらいの気温だったかな。

そんなシーンとしたまっすぐな道を
ひとりわくわくテクテク歩いてたら

向こうから子どもがふたり
歩いてきました。
ランドセル背負ってたんだったかな。
学校帰りなんだとすぐにわかったから。
頭はきれいないがぐりで
ほっぺが真っ赤っかで
まるで賢治先生の世界から飛び出したようなのです。
夢かと思うような突然の登場!
しかもすれ違うとき
かたくなって息を飲んでて
愛おしいことといったら!

わあ〜✨と
なったけど
私も息を殺して
胸の中はドキドキで
すれ違いました。
背の高さからすると
1年生くらいだったかな。

それからまたひとっこひとりいない道を
どのくらいかな。

テクテクわくわく進むと

こんな木造校舎の学校が現れました!

この学校の子たちだったかな。

‥と思ったかどうか忘れましたが
忘れもしないのは
そのときどうしてもトイレに行きたくなり
お店なんか全くない道なので
これはチャンスと
すみません〜すみません〜と言いながら
入り口らしい引き戸をガラガラとして
中に入りました。

しかしだあれもいない。
声もしない。
物音ひとつない。

でももうマックスだったので💦
入り口すぐにあったトイレを借りてしまいました。
写真には撮らなかったけど
艶々な木の床にドカンと穴が開いたような
シンプルな作りで
でも綺麗な和式トイレでした。

誰かいたら一言でも
と少し廊下を歩いてみました。

でもだあれもいない。

そっと教室を覗くと

何やら黒板には「さようなら」の文字が。
え?
廃校になった学校?
でも
毎日使われているかのように
まだ体温を感じる教室でした。

もう一枚
黒板が少しだけ入ってる写真があったので
のばしてみると

「教頭先生
雫小へ行っても七つ森のことは忘れないでください。
成平元年三月二十九日」
とある!

成平?
あ、平成?!

30年間全く気付いてなかったですが、
平成になりたてで間違えちゃったのかな?

そして。
今、検索できる時代になって
そうだ。と
調べてみました。

この小学校は小岩井小学校で
昭和60年に移転になり
61年に七つ森小学校と名前を変更したそう。
雫石小学校というのも同じ雫石町にはあります。

平成になったのは1989年
この写真の1年8ヶ月前の黒板の文字。
昭和64年が平成1年1989年なので

この黒板文字の頃は
すでに移転になってた?

もしかすると
お別れ会がここで開かれたのかな?

でも
七つ森小は小岩井農場からは少し離れているのです。
ならば
すれ違ったあの子たちは??

今回行けることになって初めて知ったのですが
この小学校のすぐ近くにお稲荷さんがあるのです。
農場の中にあるおいなりさんと
今回の旅の直前に見た小岩井農場のブログにあって
へー。
と思ってたのですが

ふと今

もしかして
あの子たちはキツネだったかな?

‥すみません。久しぶりな上に
なかなか進みません。。


今回の小岩井農場です!

無事
明るいうちにまきばえんに着き
入ってみると
目の前に
岩手山!

まきばえん
前にも来たことあるんです、
90年代の終わりに。
観光シーズン中の8月で
大勢でジンギスカン食べて
めっちゃ観光地〜という印象。
岩手山も見えたはずなのに
まったく覚えてない。
雨だったら
やっぱり見えなかったのかな。

この日はほとんど観光客がいなくて
地元の親子連れが数組と
中国の方っぽいカップル
大学生っぽい女子ふたり組

ひとり旅のわたし
園内お客さんは以上。
という

ほとんど
岩手山に逢いに来た
的な
ロケーションでした。

そして
岩手山も

飛行機雲をビュンビュン飛ばして
祝福してくれたのです!

羊のふれあい体験は中止になってました。
お馬は子どもたち
乗ってました。

この
岩手山目の前の
左手羊たちの群れの
その前で

わたしひとり!

岩手山と対峙しました。
音のない世界。

どのくらいの時間だったでしょう。

長さはそれほどでもなかったかもしれない。

けれども
感覚的には

永遠な宇宙時間でした。

今でもはっきり
思い出せます。

あの日の岩手山の感触を。

 

あんな風に岩手山に包まれたのは
初めての体験で
というか
ひとつのお山と向き合って
お話しできたのは
生まれて初めてでした。

帰ってからの作品作りにも
とても大きな体験となりました。

 

 

 

賢治の旅<1990→2020>その1*虹

30周年の紙焼き写真をスキャンしてみた。
1990.12.2の盛岡の空です。
季節外れの台風が来てて
福島あたりから
虹が何度も何度もかかっていた。
二重の虹というのも
このとき初めて見ました。

二重の虹の写真は残ってなかったけど。
確か盛岡初日のホテルから撮った空だと思う。
ガラス越しに虹を見つけて、
わあってなって、
勢いで非常階段に出て撮ったような。
戻ろうとしたら、
自動で鍵が閉まってしまってて、、
外の非常階段を7階から降りて、
何事もなかった顔して
ホテル入り口からまた入って、
無事部屋に戻れたような記憶。

賢治先生をめぐる一人旅。
劇的な幕開けでした。
当時の私には新幹線は高い乗り物だったけど、
確か3日間乗り放題の格安券をJRが販売して、
それを使って、
まだ契約社員で勤めていた頃なので、
休みをとって。
12月という変な季節はそのせいです。
でも季節外れの台風が盛り上げてくれました。

 

あれから30年目の秋に
賢治展のお誘い受け、
どうしても
イーハトヴの空気感を思い出したく、
また極私的30周年を
ひとり祝福したい気持ちもあって、
すぐ計画して飛んだのが2020.11.17~18。
諸事情から、滞在は23時間でしたが、
濃い旅になりました。
2020.11.17の朝。
ショートステイに母を送り出す直前の空に
お天気なのに突然雨が降り、
びっくりでした。
虹は見れなかったけど、
朝陽に雨粒がキラキラして、
アメージングな景色でした。
お迎えに来てくれて施設の方に、
こんなにお天気なのに
パラパラしてましたね、と言ったら、
え?そうですか?
全然気づかなかったです。。と言われ、
またびっくり。
光の粒のシャワーを浴びて、
駆け出した朝でした。

旅の途中は守られたよないいお天気で
雨は全く降らなったですが、

賢治展搬入の前日。
朝からものすごい雨降りで、
搬入が明日でよかったと思いながら、
準備もほっとひと段落したので、
カーテン軽く閉めてヨガをしようと
真っ直ぐに立ったその目線の先、
カーテンの隙間の窓越しに

緑のインコがつがいで
目の高さとほぼ同じ電線の上、
軒先に雨宿りしてたのです!
いつも下から見上げていたので
うれしかったー。

仲良し!なとこも
見られて、
稲穂くわえた緑の鳥のトートバッグも
グッズで用意してたので、
ごほうびみたいな気分になりました。
(展示はこれからだったけど)

それだけでもうれしかったのに。
その日、たくさんたくさん雨が降ったあと、
夕方、不意に晴れ間が見え始め、

大きな大きな二重の虹がかかりました!

30周年のお祝いみたいな気持ちで
翌日の搬入を迎えられました。
ギャラリーオーナーに話したら、
見れなかったというので、
画像送って共有しました。

虹、去年今年はいっぱい見れてる気がする。
これは、空の、神さまの
プレゼントかなって思うよ。
紫の夜を超えてきた生き物たちへの。

その1は、
ちっとも賢治ネタではありませんで、
ごめんなさい。
その2は賢治といえば、
なあの場所です!