オニアザミ

美しいピンクに

けども強烈なトゲトゲ

今あちこちで見られる外来種とその昔見たものが同じかどうかはわからない。けども、トゲトゲの草を指して母はオニアザミだと言ったそのドキッとする響きが忘れらずこの季節を思い出す。

新卒で入った広告の会社をわずか2ヶ月で退社、今ならあまり珍しいことでもなさそうだけど、バブルな時代は今ほど転職独立する人もない時代でかつ小学校時代は真面目な学級委員だった私が社会からアウトしたのには若者特有の純粋な決意がなかったわけではないけれど、それ以上に何が大波に飲まれた出来事だった気も今になってはする。あと3ヶ月後にはNY SOHOへ社員旅行に行けるというのもお腹の底の魂を隠して入社した大きな理由のひとつだったけど、この組織のお金で行っても何もうるものはないと悟り、いつか自力で行けばいいと思いながらもNYにはまだ行けてない。

話はそれたけど、今につながる次の仕事は母の天性の勘で見つけた小さな小さな新聞広告の募集欄で、ちょうどその直前にイヌの散歩をしながら母が教えてくれたのがオニアザミの名前だった。

だからオニアザミの花が咲く季節になると、あの大波前夜の不安なような意識が明晰のようなひとり宇宙から俯瞰してるような

それでいて地面の中に潜りたいような感覚を思い出す。

中野じゃなくていい匂いするスパイラルな青山でやってた「ロビンソンの庭」とか。そのとき持ってたカゴの匂いとか。

湿った空気はそのときの五感をえぐるにはちょうどいい。

昨日は久しぶり富士山が見えた。

隙間の空があの世のように美しかった。

今朝も曇り空だけど、湿り具合が心地いい。

最近ときどき

あの雲の上から

あの人やあの方々が

いいとこだよと手を振ってる気がする。泣いたり笑ったりじゃなく、笑ったり笑ったりしてるよと。

人生折り返しというけれど、残された時間はそんなに長くはないと日々思う。不毛なエネルギーはすべて断ち切り、笑ったり笑ったりしながら生きてるよんと手を振りかえせるように、今を味わってずんずん行こう。

 

 

雨模様

雨、降り続いて

季節が移り変わっていく

パーキングの

「空」

という文字より

「満」

のほうが

ついなんだかいいことありそうに思えてしまう運転しないわたし。

今日は

通りすがりの自転車置き場の

「出口」

の文字に何やらときめく。

新しい季節は

新しい扉が開くといいな。

 

 

 

 

夏至2021

雲の隙間から
神様たちがこぼれ落ちてく朝の空。
スマホには写らない
細く光る雲がキレイだった。

地元産のベリーが売り出されてた。
ちょっとフィンランド 気分。
いつか森の湖畔で過ごしたい
知らない白夜を少しだけ思ってみる
2021夏至の日。

 

 

 

水玉の空

済んだ空にまだらな雲が

かわいくてせつない

100回目の失恋にいよいよ違う生き物になることを決めた珍獣みたいなこころもちがした。

早く夏になって新しく生まれ変わりたいような

初夏の気分からとうとう外れたままの干からびた虫みたいな

 

星占いで全て忘れよう。