賢治の旅<1990→2020>その2*岩手山と小岩井

2020.11.17
30周年賢治の旅
盛岡着いてすぐの空。
まずここへ来ました、
駅からまっすぐ
徒歩5分の開運橋からの
岩手山。
初めて訪れた1990年
この景色にとても染み入りました。
駅前にグリーンな草野原の護岸な北上川
その先に雄大な岩手山。
でもそのときは
降ったり止んだりのお天気だったので
こんなにくっきり
雪の跡までは見えなかったように思います。

ホテルにチェックインして
(ホテルも30年前と同じホテル!)
小岩井に向かうバスを待ちました。
30年前は
鉄道に乗りたくて
田沢湖線に乗って2つ目の小岩駅で降りて
歩いたのでした。
今回は1時間に1本あったりなかったりする
電車はちっとも新幹線とは連携してなく
2時間近く待たないとなく、
小岩井農場まきばえんにつく頃は
閉園近くになってしまうので
仕方なくバスに。
1990年は歩いたせいで
まきばえんに着く頃はもう真っ暗で閉園。
でもその途中の道が
もう賢治の詩「小岩井農場」そのもので
賢治先生とお話ししてるかのような気持ちになり
感無量でした。
そして
ちょっと不思議なこともありました。

その30年前の小岩井駅からの道です。
ひとっ子ひとりいない。
それまで体験したことのないような
静かな広い世界に包まれる至福。

人はいないけど
ひつじはたくさんいました。
撮ってないけど
牛もいた。

湿った草地に
気持ちよさそに草食べてました。

ときどき晴れ間も見えたのね。
台風だからね。
だから寒くはなかったと思う。
ちょっと熱風。
でも12月だから
でも12月だというのに
初夏くらいの気温だったかな。

そんなシーンとしたまっすぐな道を
ひとりわくわくテクテク歩いてたら

向こうから子どもがふたり
歩いてきました。
ランドセル背負ってたんだったかな。
学校帰りなんだとすぐにわかったから。
頭はきれいないがぐりで
ほっぺが真っ赤っかで
まるで賢治先生の世界から飛び出したようなのです。
夢かと思うような突然の登場!
しかもすれ違うとき
かたくなって息を飲んでて
愛おしいことといったら!

わあ〜✨と
なったけど
私も息を殺して
胸の中はドキドキで
すれ違いました。
背の高さからすると
1年生くらいだったかな。

それからまたひとっこひとりいない道を
どのくらいかな。

テクテクわくわく進むと

こんな木造校舎の学校が現れました!

この学校の子たちだったかな。

‥と思ったかどうか忘れましたが
忘れもしないのは
そのときどうしてもトイレに行きたくなり
お店なんか全くない道なので
これはチャンスと
すみません〜すみません〜と言いながら
入り口らしい引き戸をガラガラとして
中に入りました。

しかしだあれもいない。
声もしない。
物音ひとつない。

でももうマックスだったので💦
入り口すぐにあったトイレを借りてしまいました。
写真には撮らなかったけど
艶々な木の床にドカンと穴が開いたような
シンプルな作りで
でも綺麗な和式トイレでした。

誰かいたら一言でも
と少し廊下を歩いてみました。

でもだあれもいない。

そっと教室を覗くと

何やら黒板には「さようなら」の文字が。
え?
廃校になった学校?
でも
毎日使われているかのように
まだ体温を感じる教室でした。

もう一枚
黒板が少しだけ入ってる写真があったので
のばしてみると

「教頭先生
雫小へ行っても七つ森のことは忘れないでください。
成平元年三月二十九日」
とある!

成平?
あ、平成?!

30年間全く気付いてなかったですが、
平成になりたてで間違えちゃったのかな?

そして。
今、検索できる時代になって
そうだ。と
調べてみました。

この小学校は小岩井小学校で
昭和60年に移転になり
61年に七つ森小学校と名前を変更したそう。
雫石小学校というのも同じ雫石町にはあります。

平成になったのは1989年
この写真の1年8ヶ月前の黒板の文字。
昭和64年が平成1年1989年なので

この黒板文字の頃は
すでに移転になってた?

もしかすると
お別れ会がここで開かれたのかな?

でも
七つ森小は小岩井農場からは少し離れているのです。
ならば
すれ違ったあの子たちは??

今回行けることになって初めて知ったのですが
この小学校のすぐ近くにお稲荷さんがあるのです。
農場の中にあるおいなりさんと
今回の旅の直前に見た小岩井農場のブログにあって
へー。
と思ってたのですが

ふと今

もしかして
あの子たちはキツネだったかな?

‥すみません。久しぶりな上に
なかなか進みません。。


今回の小岩井農場です!

無事
明るいうちにまきばえんに着き
入ってみると
目の前に
岩手山!

まきばえん
前にも来たことあるんです、
90年代の終わりに。
観光シーズン中の8月で
大勢でジンギスカン食べて
めっちゃ観光地〜という印象。
岩手山も見えたはずなのに
まったく覚えてない。
雨だったら
やっぱり見えなかったのかな。

この日はほとんど観光客がいなくて
地元の親子連れが数組と
中国の方っぽいカップル
大学生っぽい女子ふたり組

ひとり旅のわたし
園内お客さんは以上。
という

ほとんど
岩手山に逢いに来た
的な
ロケーションでした。

そして
岩手山も

飛行機雲をビュンビュン飛ばして
祝福してくれたのです!

羊のふれあい体験は中止になってました。
お馬は子どもたち
乗ってました。

この
岩手山目の前の
左手羊たちの群れの
その前で

わたしひとり!

岩手山と対峙しました。
音のない世界。

どのくらいの時間だったでしょう。

長さはそれほどでもなかったかもしれない。

けれども
感覚的には

永遠な宇宙時間でした。

今でもはっきり
思い出せます。

あの日の岩手山の感触を。

 

あんな風に岩手山に包まれたのは
初めての体験で
というか
ひとつのお山と向き合って
お話しできたのは
生まれて初めてでした。

帰ってからの作品作りにも
とても大きな体験となりました。

 

 

 

賢治の旅<1990→2020>その1*虹

30周年の紙焼き写真をスキャンしてみた。
1990.12.2の盛岡の空です。
季節外れの台風が来てて
福島あたりから
虹が何度も何度もかかっていた。
二重の虹というのも
このとき初めて見ました。

二重の虹の写真は残ってなかったけど。
確か盛岡初日のホテルから撮った空だと思う。
ガラス越しに虹を見つけて、
わあってなって、
勢いで非常階段に出て撮ったような。
戻ろうとしたら、
自動で鍵が閉まってしまってて、、
外の非常階段を7階から降りて、
何事もなかった顔して
ホテル入り口からまた入って、
無事部屋に戻れたような記憶。

賢治先生をめぐる一人旅。
劇的な幕開けでした。
当時の私には新幹線は高い乗り物だったけど、
確か3日間乗り放題の格安券をJRが販売して、
それを使って、
まだ契約社員で勤めていた頃なので、
休みをとって。
12月という変な季節はそのせいです。
でも季節外れの台風が盛り上げてくれました。

 

あれから30年目の秋に
賢治展のお誘い受け、
どうしても
イーハトヴの空気感を思い出したく、
また極私的30周年を
ひとり祝福したい気持ちもあって、
すぐ計画して飛んだのが2020.11.17~18。
諸事情から、滞在は23時間でしたが、
濃い旅になりました。
2020.11.17の朝。
ショートステイに母を送り出す直前の空に
お天気なのに突然雨が降り、
びっくりでした。
虹は見れなかったけど、
朝陽に雨粒がキラキラして、
アメージングな景色でした。
お迎えに来てくれて施設の方に、
こんなにお天気なのに
パラパラしてましたね、と言ったら、
え?そうですか?
全然気づかなかったです。。と言われ、
またびっくり。
光の粒のシャワーを浴びて、
駆け出した朝でした。

旅の途中は守られたよないいお天気で
雨は全く降らなったですが、

賢治展搬入の前日。
朝からものすごい雨降りで、
搬入が明日でよかったと思いながら、
準備もほっとひと段落したので、
カーテン軽く閉めてヨガをしようと
真っ直ぐに立ったその目線の先、
カーテンの隙間の窓越しに

緑のインコがつがいで
目の高さとほぼ同じ電線の上、
軒先に雨宿りしてたのです!
いつも下から見上げていたので
うれしかったー。

仲良し!なとこも
見られて、
稲穂くわえた緑の鳥のトートバッグも
グッズで用意してたので、
ごほうびみたいな気分になりました。
(展示はこれからだったけど)

それだけでもうれしかったのに。
その日、たくさんたくさん雨が降ったあと、
夕方、不意に晴れ間が見え始め、

大きな大きな二重の虹がかかりました!

30周年のお祝いみたいな気持ちで
翌日の搬入を迎えられました。
ギャラリーオーナーに話したら、
見れなかったというので、
画像送って共有しました。

虹、去年今年はいっぱい見れてる気がする。
これは、空の、神さまの
プレゼントかなって思うよ。
紫の夜を超えてきた生き物たちへの。

その1は、
ちっとも賢治ネタではありませんで、
ごめんなさい。
その2は賢治といえば、
なあの場所です!

 

ギャラリーまぁるへの道

六叉路からまぁるへ向かう道の入り口すぐにある木。マンションの植え込みの木だけど、シルエット、いいなあといつも思う。

私たちの会期数日前にオープンしたお店。スタッフの方とは、久しぶりとか冗談を言いうほど、ほぼ毎日顔合わせてます。お店がどんどん出来ていく様子も見れて楽しいです。今日はテラス先にグリーンが設置されてました。

レジ横には、DMも置かせてもらってます。それも、いよいよ明日までです。

シェフオーナーはなんとボローニャやイタリア各地で修行したそう。ボローニャ!と聞いて、喜ぶトモたち(^。^)

明日は5時までです。

いらっしゃる方、どうか、急な階段、お気をつけてね。

来られない方へ。こんな雰囲気、の動画です。見られるかな。↓

FullSizeRender

 

フィンランドの森を歩く

しとしと冷たい雨の東京です。
こんな天気の日はとくに
去年歩いたフィンランド の森を思い出す。
ヌクーシオ国立公園。
観光地としても有名な場所です。

でもしっかり森だと聞いたので
絶対行ってみたいと思ってた。
ヘルシンキ5日滞在予定が
直前にオーロラを見たくなり
ラップランドに出たので、
森へ行ける日はこの日しかなくなってしまった。
曇天の日曜日。

電車に乗り、バスに揺られ、
森の入り口とおおぼしき山道を入る。
国立公園だというのに
のっけからワイルドだった。
いきなりひとり遠く北欧の森へ突入。

静寂。
大きな鳥が横切る気配。
ふくろうだった?みたいなツバサ感。
ドキドキする。
けれどもすぐにワクワクに変わり、
そしてひとりぼっちなのに
ちっともさびしくない。
森に包まれている感じ。
空気はひんやりなのに
あったかい感じ。
ふしぎな体験だった。
森が人間を歓迎してる。
そんな感じがした。

湿地の中をいく。
森だけど湿地。
そのままある木々が水が美しい。
いやなものが何一つない世界。

公園なので道しるべがある。
それもちっともぎょうぎょしくなくさりげなく。
木のところにある
青白のシマの四角いやつ。
それがコースの印。
長さで3種類ある。
とガイドブックで見て知っていた。
この先にある公園事務所で地図をもらえるはず。
それを見て歩けばいいと思っていた。
ところが。
今日は日曜日。
公園事務所はお休みだった。
フィンランド は土日はなんでも休みになる。
公園まで!
でももう歩き始めてしまったから仕方ない。
確か黄色が初級者コースだったよね。
と思いながら歩き始める。

映画のロケとにもなった湖があらわれた。
すてきすてき。
曇り空にもいい感じ。

いい感じ!

どんどんハイテンションになって歩き続ける。

途中バーベキューしてる人たちもいた。
ベリーの季節には
取り放題!って聞いてたけど
もう一個もなかった。

けど
楽しかった!

少なくても途中までは。

歩き出して1時間くらい?
ポツポツ雨が降り出した。
でも私はすぐ終わる初級者コース。
さっさと行こう。
と歩くうち。
ざあざあ降りになってきた。

道しるべ通りに歩いていたら、
湖がいつの間にか終わり、
すれ違う人もいなくなる。
雨はどんどんひどくなる。
天気予報ではもう少しもつはずだったのに。
でも進むしかなかった。

道しるべ通りに歩いてきたのに
森ではない風景が出てきた。
秋吉台?みたいな岩ゴツゴツ地帯。
アップダウンもある。
でも進むっきゃなかった。
雨はますます激しくなる。

また森に入り、
とにかく四角い標をみっけては
どんどん歩く。
かなり必死になってきた。
Google マップを開けたくても
雨がひどくて開けられない。
開けられる場所に出ても
圏外になってる。

ヤバい。。急がなきゃ。
時間はまだ早いけど、
このまま日没になったら、
間違いなく凍死する。
と思ったら、恐怖のどん底になった。

ひたすら先に見えるしるべを探す。
ない‥と思って心細くなる頃に、
あらわれる。
とにかくあそこへ。
とまた、その次の標を追う。

また秋吉台になる。
ヤバい。
迷ってる?のか?
同じ場所、グルグルしてる?

初級者コースは、輪を描くコースで、
また出発のインフォメーションオフィスに戻るはずだった。
でも事務所らしきものは全く見当たらない。
とにかく秋吉台を転げそうになりながら
進む。

 

と、

向こうからリュックを背負った白人の女の人が
ひとり歩いて来た。
インフォメーションオフィスを聞く。
わからない、と言われ、焦る。
でもこの先に、地図がある、バス停もあるという。
キートス!と言って別れる。

よかった。
言われた通りに行くと、
また心細くなりそうになるあたり、
地図の看板があった。
でも見てみても、自分の場所からどう帰れるのか、
全くわからず。
でも近くにバス停、あるっぽい。
地図通りに行くと、大きな道に出た。
屋根のあるバス停だった。
よかった!

と行く先と時刻表を見ると、
駅に行くバスが、ある!
1時間に一本のが、あと30分くらいで!

本当にくる?

雨だれのバス停でひとり静かに待っていると、
スパニッシュ系と思しきカップルがあらわれる。
すっごい寒い雨ん中。
でも無事帰れそうな安堵感。

このとき
全ての恐れは
全て心の中にあるということを
森からおそわった。

あとから気づいたけど、
初級者コースと思ってしるべは
上級者コースで最長だった。
その途中にバス停がある‥ということを
そういえば前に読んでいて
その景色は
スマホの写真にも入ってたのだった。

つまり何にも迷ってなんかいなかった。
けれど
知らない風景、予想外の景色に
一瞬にしておそれモードに入り込んでたのだった。

それは日本に帰ってからも
日常そして人生の中ではよくあることで
でも

ちょっと先の小さなしるべを頼りにとりあえずそこまで歩く。
するとまたちょっと先に小さなあかりのようなしるべが必ずある。
必ずあるからみっけてとりあえずそこまで。
と進む。
そうして恐れず歩いていけばいいこと。。。
なのである。

まるで自然のまんまのようで
きちんと迷わないように最低限の人の手が入っている
フィンランドの国立公園のあり方にも感動した。

これはつい去年の10月末のこと。
すごく遠くのようで、
でもいつでもとなりにある。
そんな出来事をムネに
この一年は歩いてこれた。

かみさまのしわざはよくできてる。

たぶん、きっと、
これからも。

 

 

花火

去年の今頃、
沖縄に向かう飛行機の中にいた。

空港では安室ちゃんが迎えてくれた。
そう。期せずして、安室ちゃんの日だった。

夕方着予定のLCC機は、
遅れることなく無事着いて、
外に出たら見事な夕焼けだった。

それだけでも十分だったのに、
宜野湾に向かってみることにした。
沖縄市在住の友達は、
宜野湾周辺は混むから、
職場の友達と車で
対岸北谷あたりから見てみる予定
と言っていた。
首里の友達も、
やっぱり道が混むから
行かないと言った。
私はLCC機だし
到着が遅れるかもしれないし、
とあまり当てにしてなかったけれど、
予定通り着いてしまったし、
運よく?荷物は宅急便で郵送済みで
身軽だった。
行けるとこまで行ってみようかな。
気楽な気分でバスターミナルに向かう。
どのバスがいいのかもイマイチ
不安だったけど、
運転手さんに聞いたら、
これ、○番線ネー。という。
沖縄のバスは行き先ではなく、
番号で理解するのだと初めて知る。
安室ちゃん花火大会の会場の
コンベンションセンター前まで行くバスは
しばらくないので、
ちょっと歩いて行けそうなとこまで行きそうな
バスに乗る。
お客さんは私一人でちょっと不安になりつつ、
もし道が混んでいたら
間に合わない。
ギリギリの時間だったので、
花火に間に合いますか?と
運転手さんに聞いてみると、
さっきまで道が混んでいたけど
もう空いてるよという。
なんとかなるかなと
もう暗くなった街をいく
ひとりバスに揺られていたら、
突然、運転手さんが話しかけてくれた。
「ほら、花火」
見ると、道の先の空に
打ち上がった花火!
一気にテンションあがる。

降りたバス停は
暗い国道沿いであまり人影もなく、
また不安になったけど、
コンベンションに向かって歩き始めたら、
花火が見えた!
通りに花火を見に出てる
親子連れや仕事中の人もいて
またまたテンション上がる!

大きな建物も派手な街灯もない
素朴な道を歩くこと
20分ちょっと。
コンベンション前の大きな道に出た。
懐かしい!
ここまで来たら、
ちょっとは知ってる場所な気がして
ますますテンション上がる。

指定席券はもちろんないので、
無料で入れる花火が見える場所を探すと、
花火が上がってる対岸沿いまで行けて、
そこには、
無料観戦ギャラリーが
福木並木の下
ビール片手にちらほらいて、

安室ちゃんソングと
レーザー光線とともに
次々打ち上がる華麗な花火!
堪能!堪能!!

30分くらい?
見れたかな。

あんな豪華な花火は見たことないよ。

ここまで来てよかったと思った。
対岸北谷から見ると行ってた友達は、
残業で見れなかったと言っていた。

あれから一年。
本当は、沖縄には、
今年初夏に
ちょっと長めに滞在したい予定だった。
撮りたいものがあったから。
そのために、
増税前に、
カメラとノートPC新調もした。

けど世の中的にも、自分的にも。
まさかな一年後で。
今久しぶりにあの夜を
思い出したら、
ずしんと来る。

あの夜、花火の後、
那覇の壺屋の宿に着いたら、
サガリバナが咲いてたんだった。
いい匂いがするんだよ。

あの匂いを嗅ぎに
壺屋でゆらゆら迷子になりに

絶対帰るから。

宿題もあるしね。

待っててね。