ありがとう

気がついたら、大晦日。
忙しい師走という言葉をよく聞きますが、
師走だから忙しいと思ったことは
私はありません。
お盆も年の瀬もあまり関係ない仕事かもですが、
今年は年内にチェックをもらいたいことがあり、
この数日詰めてました。
あと少しかなということろで、
年内の編集部は今日で終わりですと言われ、
最近は早くに休みに入るんだなと思ったら、
そうではなくて1日私がずれてました(^^;

まあその仕事もケリがついたので、
昨日は多摩の奥の方面へお墓参りに行ってきました。
あちこちで大掃除をしていて、
申し訳ない気持ちになりながら、
でも気持ちよく歩いて、
私もお墓掃除をして
そうだと前に知った小川神社を訪ねてみました。
熊野神社だけど、古い地名(小河)から
小川熊野神社と呼ばれているっぽい。

境内には寄り合う場所もあり、そしてここでも絶賛大掃除で、
皆の大事な場所としてずっと続いているんだなとしみじみ。

ところで、考えたら、
偶然にも今年は黄色い鳥(ヤンバルクイナ)から始まりました。
そして今年は無事?沖縄へ行くことができました。

いつもそこに鳥がいてくれるので、
鳥を描くことが多いのですが、
秋にふとツバメを描こうと
自分でとった画像を探していたら、
6月のとある日。
ビュンビュンと目の前を何回も
旋回するツバメがいて
すごく大きく写真がとれた夕方を思い出しました。
そしてこの絵を描いて
しばらくしてから、
高校の同級生が癌で亡くなったことを知りました。
その日が、ツバメの日だったんです。
彼女は水泳部でスクール水着姿がすぐに浮かぶので、
ああ、あのツバメはYちゃんだったかなと思いました。
私は水泳はダメだけど、
水球大会の日、プールサイドの端っこで、
なぜか変顔して写真とろうとなり、
二人で変顔した写真と
吹き出した写真が思い出でした。
高校時代は他にはあまり接点はなかったけど、
最近になって展示に来てくれるようになり、
一寸法師の絵本を外国人の友人に送ってくれたり、
来られない時も気にかけてくれてる人でした。
その訃報を知ってしばらくして、ふとLINEの履歴を見ていたら、
忘れていた彼女とのやりとりが見つかりました。
昨年の日本酒ラベル展のとき、
今回はいけないけれど、お酒も飲めないけれど、
川越の両親に贈りたいので購入したいと言ってくれたやりとりが最後でした。
それはツバメの日、つまりYちゃんが天に飛び立った日の約半年前で、
そのころはもうすでに闘病中だったそう。
何も知らずこの絵を描いたのですが、
描けてよかった。
まだタイトルもない絵ですが、
(仮タイトル「優しい未来」)
ここに載せます。

そして、今年は秋に母が天に飛び立ちました。
やはり、鳥の絵を展示するタイミングで、
Yちゃんが飛び立った日の10日後に母が入院した日で、
そのあいだにたまたま、イタリアに住む友人たちと
川越をたずねていました。
すべてあとから気づいたことで、
つなぎ合わせると、
たまたまと言われそうだけど、
見えない糸でつながっている気がしてしまいます。

2020年冬に父が亡くなり、
母が認知症になり、
私が母の責任者のような役割になった3年半でした。
その全てが終わったのだと思うと、
ほっとしたのか葬儀後に発熱して
2日間くらい朦朧としていました。
普段眠れないことは全くない私ですが、
2日こんこんと眠ったら、
熱が下がった二日目の夜は、頭がさえてなかなか寝付けず、
かと言っておきる元気はなく、
うつらうつらと横になる深夜に
夢ようなもっと冴えてる映像のような感じで、
暗いトンネルを歩く夢を見ました。
音もなく、小さな明るい光がある。
あそこは天国かな、私もあそこにいくのかな。
まあそうだとしても、
未練はないなあ。なかなか面白い人生だったし、
ありえないこと珍しいこともいっぱいあったし、
もう十分楽しんだかもだし、
それにもう十分苦しんだし、
あそこに行ったら楽になるなら、
まあいいかと
けっこう冷静に思う自分にびっくりして
目が覚めました。
あ、私、意外と執着ないのねというのと
母がいなくなったことが
そんなに腑抜けな気持ちになるのもまさかでした。
いろんな点で似てると言われていたけれど、
反発もあったし、
小さい頃からいろいろあった家庭なので、
母には波を立てないよう話さないできたことは
たくさんあるし、
頼る気持ちは5歳くらいに捨てた気持ちで
生きてきたつもりだったからです。
なのに2ヶ月たった今でも突然悲しく涙が出ます。
これはなんだろうと
寂しいとかそんなんではなく、
たぶん自分が出てきた肉体が
この地上から消えてしまったという喪失感が
一番近いかもです。

でもだからこそ、与えられた時間を味わい尽くそうとも思えます。

実はこのコロナ禍で原因不明の皮膚の病にたびたび悩まされてきましたが、
今年5月にたぶんコロナにかかって以降は、その皮膚の悩みが全快しました。
今年、一番くらいにうれしかったことのひとつです。
あれはなんだったんだろうと思ったとき、
その発症のおかげで前から気になっていた血液の検査をできたことは意味があるかもと思ったりします(その皮膚の症状がその病気に初期症状に似ていたので)
前は白黒つかなかった検査が医学の進歩?で
費用もかからず、審判がおり、
改めて、正式にキャリアであることが判明。
おそらく16歳の輸血で感染した
今は治療できない発症したら数年で死にいたる白血病の一種です。
でもその皮膚の病気はその発症ではないことは血液検査でわかり、
こうして今も元気です。
潜伏期間40年と聞いていたので、先のことだと思っていたら、
もうその年齢になっていたのでした。
そしてキャリアの発症確率は5%。だた発症するまで気づかない人も多いから、
隠れ分母の5%だと思っていたら、そうではなく、
隠れも含めた5%と検査を受けた専門医から聞き、
いつ何があってもいいようにとあらためて思う年でもありました。

でもだからがむしゃらにがんばろう!というのではなく、
ただただ精一杯今を味わって歩いていこうという気持ちでいます。
そう思えるのも、
見えない力で支えられている、守ってもらえてる気がするからです。

実は高校時代の親友は20年以上も前に、やはり癌で亡くなっています。
でもなかなかお墓参りができなかったのですが、
展示が縁でお墓の場所がわかり、
今年の春にようやっと連れていっていただきました。
今年やれたうれしいことのひとつです。

長々とすみません。
悲しいお別れはあったけれど、
新しく始まる節目の年になった気もします。
今年はチームで仕事をする機会も多く、
形になっていませんが、長いことできずにいた共作の提案もできたり、
たくさんの人に支えてもらった一年でした。
そしていつも展示に来てくださったり、
気にかけてくださった皆さんにも
生きていく励み、エネルギーをたくさんたくさんいただいた一年でした。

どうもありがとうございました。

 

ちんすこう

ちんすこうは首里の新垣さんのが絶美味しいんだけど、桜坂で見つけたコレは、パッケージとラード不使用に惹かれて買ってみた。

01でもioでもありません。とても大事なメッセージがこめられていました。

読めるかな。楕円の黒糖アイシングがとても美味しいと思ってたら、それは基地の飛行場をあらわしていたのです。食べてなくしちゃえと。

東京のニュースで沖縄問題と聞くたびに、沖縄は何も悪いことしていない、これは日本の問題と心が痛む。沖縄でスマホ不具合が続き、すごい磁場を感じると言ったら、県民の友達はあちこち埋まってるからねとサラッと言った。沖縄を平気で何度も盾にする日本。人のための政治ならば、人は心があって人だと思うんだけど。

 

 

 

おうち型

どうも私はおうちの形が好きです。(このかんばんは、最寄駅のパン屋さんのもの。パンもめちゃくちゃ美味しいです)

おうち型がアイコンの某通販サイトの今年のスノードームは湖と街。遠い街に行ったきもちで見入ってます。

クリスマスっぽい絵を描き始めたけど、間に合いそうもない。高校駅伝をラジオで聴きながら、京都の街を想う。サンタクロースにハグしてもらった北極線上の空を思い出す。でも寒いので、実はどこにも行きたくないクリスマスですが、ふしぎなえにしのお話しをしに、今日はこれから街まで。

みなさま、よいクリスマスを✨✨✨🎄

昨日夕方、ベランダで空を見ていたら、
下の通りをひとり歩く小学生くらいの女の子が
私の方を見上げていたので、
思わず手をふったら、
急にニコッとして、手をふりかえしてくれた。
それだけのことだけど、
なんかとてもうれしかった。

子どもは空なんか上なんか見ていない。
地面の話を作れと言われたことがあるけれど、
どうだろう。
大学生の頃も、ベランダで本を読んでいたら、
お母さんの自転車の後ろに座る子どもが
私のほうを見上げていて
目があったことがある。
子どもの頃は空ばかり見てる子でした
と書いている人もよく見る。
私は昔も今も
空を見るのが好きだから、
こんなふうにして
知らない子とつながったのが
すごくうれしい。

沖縄の行きの飛行機の中で迎えた夕暮れ。
2019年以来の空旅は
飛行機に乗れたことだけでもう
大満足だった。

帰りの沖縄で出立前の空。
沖縄のガラスみたいな空が
箱におさまっていて宝物のようだった。

空から見えた富士山と海。

着地した羽田の夕暮れ。
かすかに富士山も見えるのよ。

海も空も
ボーダーはない。
ほんとはそう。

皆がそう思えば
簡単なこと。
清志郎がいたら
今なんて言うだろう。

ゆい

沖縄で唯一の電車はモノレール。その名もゆいレールの駅名プレートは、伝統的な織りのかすりの文様をあしらっててステキです。

シートもかすり模様。これはツバメだったかな。

ゆいレールから見えるすり鉢状の街並みが好き。

話は飛びますが

かっこいい小屋をみっけ。

どんなお店なんだろう??

沖縄は草もかわいいことになってるよ。

そしてもちろん木がすごい。
この木は音楽の街コザのシンボルツリーみたいな存在感。

ロックも羽が生えているのさ。

今回は中国ルーツの地にも行けました。
島だから
島だからこそ
あらゆるものとつながっている
つながれる。

「ゆい」な気持ちを抱いて
海を見ながら飛びました。

濃密な時間をゆっくりかみしめて
2024へとつないでいこうと思う。

きっと美味しく発光&発酵するよ。
楽しみにしていよう。

ありがとう。ゆいな日々。ゆいな時間。
ゆいの光✨