こけし

一ノ蔵さんへのご挨拶をかねて
雪降るこけしで有名なかの地へ
行ってきました。
この巨大こけしの方の首が
ゴロっと落ちてしまったという
ちょっと前のニュースを
ぼんやり覚えていましたが、
無事元気に佇んでおりました。
こけし、なんとなく興味はありましたが、
子どもの頃は普通にどこかにあったりしたもので、
あまりに普通すぎてこれまできたのですが、
あらためてその魅力に
惹きつけられています。
人型の人形は苦手ですが、
世界中で昔から
いろいろな想いを持って
作られてきたものなんだなと思うと、
素朴なものほど
いとおしくなります。

真冬の温泉地は
観光客もまばらでしたが、
ふと見覚えのあるネコちゃんが。

チャリティー展でご一緒している
大野隆司さんのイラスト。
足湯の看板になっていました。
大野さんとたまたま年末に
お話する機会があり、
そういえば鳴子でお仕事している話を
聞いたばかりでおおっと。

そしてですが、
こけしの町旅から帰ってすぐにまた
西の都へビューンと。
(その旅については後ほど)
そこでかねてから行きたかった
キッチュな本屋さんで
おおっと目に止まったのがこの本。

ロシアとマトリョーシカに惹かれたのですが、
というか実は鳴子で、
マトリョーシカも展示してあり、
そのときロシアのマトリョーシカは
意外と歴史は浅く、
箱根の入れ子式こけしにイントを得て
作られるようになったと聞いて
ほんと?となっていたら、
ここにきちんと書かれていました。
たぶん、ほんとらしいです。
日本のこけしについてもふれらている本ですが、
というか
この作者の方、よく見たらお名前も
昔勤めていた職場が出していたとある雑誌で
よく見ていた方でしたが、
こけし研究家だったとは初めて認知
(というか、たぶんこの方が
こけしとお茶しているところを
たまたま見たことがあり、
そのときはこの方とは気が付かず、
ただこけしと二人で嬉しそうに
お茶していたシーンがインパクトありで、
イラストレーターさんかなと思っていたのが
なるほどっと解明できてスッキリ)

という具合に
インスピレーション受けまくり
北に西につながるこけし旅なりまして
私もこけし
作ってみたいなあと
ほんのりしみじみ思っている今日この頃です。

 

新年

昨年末、野菜スタンドでB級品200円で買ったちょーデカさつまいもが、色もきれいでめちゃくちゃ美味しい。さつまいもの糖度が上がるシーズン到来ですね!リンゴと干しぶどうと煮て、シナモンかけて、お餅入れて食べるしあわせ。某著名占い師さんが、食べると運気が上がる食べ物にさつまいもをあげてました。はてどうだか全くわかりませんが、美味しいさつまいもは気分アップになりますね。しかし、お餅はたべると、なぜか眠くなりますね。私だけだろか。

今年の手帳は黄色いコトリつき。いただきものですが、すっごい使いやすい。下の白いのは去年のです。スケジュールはほぼスマホに入れてますが、これは日記的に使ってます。しばらくとっておくので、同じ形はありがたい。持ち運びも便利なサイズ感。

今年も黄色い絵から始まりました。私事も世の中的にも、まさかな出来事続きですが、まけないよ。

良い年にしましょう!

 

厄おとし

昨年末からすでにいくつもの神社をまわっている。
意識してというのではなく、
近くまで行ったからとか、
偶然の発見が続いたりとかで。

発見その1
地名に富士があるところに住んでいて、
なぜ富士?と調べたら、かつて富士山が見えるところに、
富士浅間神社があったということを
越してきてすぐに知りました。が、
富士がよく見えるあたりには
それらしきものも跡もなく
はてそれはどこ?と気になっていた。
年末になり、今年の恵方の方角にある神社はどこだろうと
なにげに近所の神社をGoogleマップで見ていたんです。
すると浅間神社跡というのが出てきた。
それもすごい近い場所。
しかしそこはどう見てもごく普通の児童公園の中。
というより、遊具やベンチはほとんどない、
普段はサッカーとかしている子が
まばらにいるだけの公園というより広場みたいなところ。
石碑か看板でもあるのかなぐらいに行ってみた。ら、
フェンスとこんもりな木の影に赤いものが。
入り口はあるのか?なくらいに囲われた場所をぐるりとまわり、
すきまから入ってみると。

なんと鳥居の向こうに祠が。
なんの記載もないけれど、
祠の中は空っぽいけど、
白い紙は新しいっぽい。
誰かがきちんとお世話している場所だとわかり、
秘密の場所を知れたような満足感で年は暮れました大晦日。

そして今日。
元朝参りの最初に再び訪ねてみた。ら、
祠の中に紙に包まれた一升瓶がお供えされていた。
祠の鍵はしまったままだから
ここをお世話しているかたがお供えにきたのかな。
そして足元をみると、古っぽい石の基礎のようなものが。
江戸時代にはここに浅間神社があったのかな。
神社の後に広場ができたのかなとしみじみ。
ただここからは今は富士のかけらも見えない。
でもあたりが草野原のいにしえには
きっと富士は見えたんだろな、土地的には高台なので、
ちょっと歩いた先の街道の先には大きな富士が座っているからね。
江戸時代の人とお話できたよな気分になれるし、
ときどき尋ねたいなあと思う年明けであった。

発見その2
最も最寄りの神社と思われる稲荷神社は、5叉路という稀有な立地もあり、独特の貫禄があるなあと日頃から思っていた。狭い境内で今年の夏には盛大な盆踊りもやっていて、昔から大事な場所なんだなと感じていたけれど、普段はほとんど人気もなく、古い小さな神社という印象でしかなかった。
で、元旦は年明け深夜に甘酒が振る舞われそうな場所なので、今年はどうだろうとなにげに調べていたら、見たことない画像がいくつもあがっている。違う土地の稲荷神社かと思ったが、どうもそこのことらしく、ん???となる。え、もしかして、奥に?奥がある??と何百遍の朝散歩で気配さえ気づかなかった「奥」を見つけに、祠の裏手へまわったら。

あったのです、こんなに立派な階段が!
のぼると下の本殿の前にいる狐の3倍はある大きな狐さんが、左右に下を見下ろして横たわっていました。
奥の院があったなんて!
この奥に祠とかなり古いと思しき像もありました。
と知ったのも、大晦日。
で、元朝参り二つ目に早速再びの奥の院へ。
鍵のかかった扉はご開帳にはなっていなかったけど、
その前にお賽銭がいくつかありました。
知っている人は知っているのね。
私も知ってしまったよ。
これからはときどきよろしくね。

とはいえ、朝っぱらから、
なんで元旦に〜!?という
事件が続けて勃発。
しかしひえ〜💦となったあとに
意外と大変でなく片付くという展開が続く。
きっとそういう年なのか、
これで厄除なのかと納得させて
街道沿いの天神さまへ向かったら、お参りするだけですごい列。
並んでいるときにふと脇にある看板をみると、なんと今年私は前厄であることを知る。
なるほど。
不思議と今年はできるだけたくさんいろんなところへお参りに行きたい気持ちになっていたのは、
そういうことだったのね。と納得。そして、なかなか進まない行列に埋れていると、お囃子の音色が。屋台が盛り上げに流してるテープ?と思ったけど、どうも生っぽい。と思ったら、
お囃子がいた。やっぱ生はいいなあと思っていたら、
その前でお獅子が舞っていた。
たぶん生まれて初めて、
お正月の神社で獅子舞を見た気がする。
そしてさらにびっくりしたのは、
お獅子の脇で、おかめのお面をつけた5歳くらいの女の子が下駄でトントン跳ねて踊っていた。
その背後から陽が差していて、
光の中でお囃子とひょっとことおかめが踊っている。

赤ちゃんから大人まで並んで
お獅子に頭を差し出していた。
夢のような光景で、私もお参り済んだら、お獅子に頭噛んでもらおうと楽しみにしていたら、ようやく番が来てお参りし、お獅子の方へ行ったら、もうお囃子もおかめもお獅子もどこにもいなかった。残念。これが前厄か。
でも神々しい風景を眺められただけで厄が落ちた。ということにしよう。でもお獅子、もっと近くで見たかったなあ。。また行ってみようかな。お獅子とかわいいおかめに会いに。

 

能登で大きな地震がありましたね。父方が金沢なので、石川は小学生の頃、毎夏、過ごしていた場所です。今はつながりのある親戚はいませんが、大きな被害がないことを祈るばかりです。

地球的にも世界的にも人も生き物も、
どうかどうか穏やかな一年でありますように。

2024

2024年あけまして
美しいアケホノの夜明けです。

海からの日の出を見たかったけど、今年も近所の初おひさまです。

小鳥のさえずりをあびながら、初日の出を拝めました。良い年になりますように。

今できることを精一杯工夫しながら楽しみながら、新しいことにもチャレンジできる年にしたいです

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

ありがとう

気がついたら、大晦日。
忙しい師走という言葉をよく聞きますが、
師走だから忙しいと思ったことは
私はありません。
お盆も年の瀬もあまり関係ない仕事かもですが、
今年は年内にチェックをもらいたいことがあり、
この数日詰めてました。
あと少しかなということろで、
年内の編集部は今日で終わりですと言われ、
最近は早くに休みに入るんだなと思ったら、
そうではなくて1日私がずれてました(^^;

まあその仕事もケリがついたので、
昨日は多摩の奥の方面へお墓参りに行ってきました。
あちこちで大掃除をしていて、
申し訳ない気持ちになりながら、
でも気持ちよく歩いて、
私もお墓掃除をして
そうだと前に知った小川神社を訪ねてみました。
熊野神社だけど、古い地名(小河)から
小川熊野神社と呼ばれているっぽい。

境内には寄り合う場所もあり、そしてここでも絶賛大掃除で、
皆の大事な場所としてずっと続いているんだなとしみじみ。

ところで、考えたら、
偶然にも今年は黄色い鳥(ヤンバルクイナ)から始まりました。
そして今年は無事?沖縄へ行くことができました。

いつもそこに鳥がいてくれるので、
鳥を描くことが多いのですが、
秋にふとツバメを描こうと
自分でとった画像を探していたら、
6月のとある日。
ビュンビュンと目の前を何回も
旋回するツバメがいて
すごく大きく写真がとれた夕方を思い出しました。
そしてこの絵を描いて
しばらくしてから、
高校の同級生が癌で亡くなったことを知りました。
その日が、ツバメの日だったんです。
彼女は水泳部でスクール水着姿がすぐに浮かぶので、
ああ、あのツバメはYちゃんだったかなと思いました。
私は水泳はダメだけど、
水球大会の日、プールサイドの端っこで、
なぜか変顔して写真とろうとなり、
二人で変顔した写真と
吹き出した写真が思い出でした。
高校時代は他にはあまり接点はなかったけど、
最近になって展示に来てくれるようになり、
一寸法師の絵本を外国人の友人に送ってくれたり、
来られない時も気にかけてくれてる人でした。
その訃報を知ってしばらくして、ふとLINEの履歴を見ていたら、
忘れていた彼女とのやりとりが見つかりました。
昨年の日本酒ラベル展のとき、
今回はいけないけれど、お酒も飲めないけれど、
川越の両親に贈りたいので購入したいと言ってくれたやりとりが最後でした。
それはツバメの日、つまりYちゃんが天に飛び立った日の約半年前で、
そのころはもうすでに闘病中だったそう。
何も知らずこの絵を描いたのですが、
描けてよかった。
まだタイトルもない絵ですが、
(仮タイトル「優しい未来」)
ここに載せます。

そして、今年は秋に母が天に飛び立ちました。
やはり、鳥の絵を展示するタイミングで、
Yちゃんが飛び立った日の10日後に母が入院した日で、
そのあいだにたまたま、イタリアに住む友人たちと
川越をたずねていました。
すべてあとから気づいたことで、
つなぎ合わせると、
たまたまと言われそうだけど、
見えない糸でつながっている気がしてしまいます。

2020年冬に父が亡くなり、
母が認知症になり、
私が母の責任者のような役割になった3年半でした。
その全てが終わったのだと思うと、
ほっとしたのか葬儀後に発熱して
2日間くらい朦朧としていました。
普段眠れないことは全くない私ですが、
2日こんこんと眠ったら、
熱が下がった二日目の夜は、頭がさえてなかなか寝付けず、
かと言っておきる元気はなく、
うつらうつらと横になる深夜に
夢ようなもっと冴えてる映像のような感じで、
暗いトンネルを歩く夢を見ました。
音もなく、小さな明るい光がある。
あそこは天国かな、私もあそこにいくのかな。
まあそうだとしても、
未練はないなあ。なかなか面白い人生だったし、
ありえないこと珍しいこともいっぱいあったし、
もう十分楽しんだかもだし、
それにもう十分苦しんだし、
あそこに行ったら楽になるなら、
まあいいかと
けっこう冷静に思う自分にびっくりして
目が覚めました。
あ、私、意外と執着ないのねというのと
母がいなくなったことが
そんなに腑抜けな気持ちになるのもまさかでした。
いろんな点で似てると言われていたけれど、
反発もあったし、
小さい頃からいろいろあった家庭なので、
母には波を立てないよう話さないできたことは
たくさんあるし、
頼る気持ちは5歳くらいに捨てた気持ちで
生きてきたつもりだったからです。
なのに2ヶ月たった今でも突然悲しく涙が出ます。
これはなんだろうと
寂しいとかそんなんではなく、
たぶん自分が出てきた肉体が
この地上から消えてしまったという喪失感が
一番近いかもです。

でもだからこそ、与えられた時間を味わい尽くそうとも思えます。

実はこのコロナ禍で原因不明の皮膚の病にたびたび悩まされてきましたが、
今年5月にたぶんコロナにかかって以降は、その皮膚の悩みが全快しました。
今年、一番くらいにうれしかったことのひとつです。
あれはなんだったんだろうと思ったとき、
その発症のおかげで前から気になっていた血液の検査をできたことは意味があるかもと思ったりします(その皮膚の症状がその病気に初期症状に似ていたので)
前は白黒つかなかった検査が医学の進歩?で
費用もかからず、審判がおり、
改めて、正式にキャリアであることが判明。
おそらく16歳の輸血で感染した
今は治療できない発症したら数年で死にいたる白血病の一種です。
でもその皮膚の病気はその発症ではないことは血液検査でわかり、
こうして今も元気です。
潜伏期間40年と聞いていたので、先のことだと思っていたら、
もうその年齢になっていたのでした。
そしてキャリアの発症確率は5%。だた発症するまで気づかない人も多いから、
隠れ分母の5%だと思っていたら、そうではなく、
隠れも含めた5%と検査を受けた専門医から聞き、
いつ何があってもいいようにとあらためて思う年でもありました。

でもだからがむしゃらにがんばろう!というのではなく、
ただただ精一杯今を味わって歩いていこうという気持ちでいます。
そう思えるのも、
見えない力で支えられている、守ってもらえてる気がするからです。

実は高校時代の親友は20年以上も前に、やはり癌で亡くなっています。
でもなかなかお墓参りができなかったのですが、
展示が縁でお墓の場所がわかり、
今年の春にようやっと連れていっていただきました。
今年やれたうれしいことのひとつです。

長々とすみません。
悲しいお別れはあったけれど、
新しく始まる節目の年になった気もします。
今年はチームで仕事をする機会も多く、
形になっていませんが、長いことできずにいた共作の提案もできたり、
たくさんの人に支えてもらった一年でした。
そしていつも展示に来てくださったり、
気にかけてくださった皆さんにも
生きていく励み、エネルギーをたくさんたくさんいただいた一年でした。

どうもありがとうございました。