渡り

ゆうべ目を凝らして描いた下絵をよく見たら、顔が良くなくて、ガッカリする朝。食べるものもあまりなくて、地場野菜を置いてるコンビニまで、グリーンを見つけに外に出たら、面白いいい空だった。

しかも!

家のすぐ近くで、つぐみに会った!今年はもうダメかなとあきらめてたよ。うれしいな。

いい調子、、と思っていたけど、盛況な展示のうわさを目にするにつけ、私は閑古鳥かも、、と落ち込んでいたが、つぐみが励ましに来てくれたってことにしよ。

ラジオで、今日から彼岸の入りだそう。うわっ💦

展示の準備と並行して、久しぶりに月刊誌のお話にかかっている。依頼いただく数日前に、アオバトの夢を見た。あーこのことだったんだ!とうれしかった。フリーで仕事をしていて何よりの励みは、本や展示ができたときと同じくらいに、あるいはそれ以上に、「ぜひお願いします」という依頼をいただく瞬間かもしれない。依頼というのは、1人じゃなく、タッグを組む人がいるということで、どこか舟にのせてもらい、旅に出る感覚がある。船頭さんをガッカリさせないためにも、精一杯がんばるのみ。お話は、私の提案を元によりいいアイデアをいただき、かわいいお話になりそうな予感。

さて、最近またスプライトを育ててみてる。ぐんぐん伸びてるよ。

展示には春のモチーフを盛り込んでるつもり。お墓参りはちょっとごめんして、絶賛引きこもり、制作で春を味わいつつ、がんばります!

 

 

おはようございます

おはようございます。気がつくと、3月も半ばです。花粉をのぞけば、良い季節になってきました。

DM、絶賛印刷中と書きましたが、私の凡ミスで!再印刷となりました。とはいえ、期日的には余裕があるのですが早くお知らせしたい気持ちもあり、、はやる心に落ち着け、と言われたと思って落ち込まないようにと思いつつ、、あー。うっかりなんだよな、私と反省しきり。思い込み、のクセがあり、年始からいろいろ思うところあり、心機一転なさなかで、ここでまたひとつ学びとしましょう。

ところで、最近朝ごはんに、ライ麦粉を水で溶いたものを卵焼き用のミニフライパンで焼いて、いろいろのせて食べてます。前の日、味噌汁の出汁で煮出したにぼしを捨てずにオリーブオイルで焼いて、塩したのがお気に入り。あときのことグリーンなもの何か。

小麦過多になりやすいのを反省して、なるべくライ麦やそば粉を食べてます。と、なんだか、味覚に敏感になる気がする。今までグルテンフリーはあまり考えずにきたけど(パン好きなもので)、やってみると新しい自分に出会えたようなうれしさ。でもパンも焼き菓子も食べてますよ。美味しいもんね。

で、プレートにのせると、それだけでカフェ気分になり、丁寧に食べられる気がして、ひと呼吸のためにも、お昼ごはんもこうして食べてます。だいたい2時頃になってしまうけど。朝が一番机が明るく、細かい作業はなるべく午前中にと思っていると、つい。。でも、ひと仕事できて、のお昼はなんてことない日常がしみじみしあわせにありがたく思えます。

で、今イチゴを描いてる、というのを口実に、毎日イチゴ食べてる。だって美味しくてかわいいもんね。(最近はヨーグルトにはメイプルシロップ。でもヨーグルトもなるべく控えめ)

今朝は残り物たくさんで、小皿倍増してます。いつもはもっとシンプルだけど、レコードの意味合いもかねて、写真を撮ることでまた、食事がありがたく、丁寧になる気がする。たいがいは早く食べたくて、食べ始めてから、あ、写真となるんだけどね。今朝のも少し食べてしまってるやつ^^;

昨日は久しぶりに早起き散歩ちょっとだけしたら、かわいい霜柱みっけ。3月って、こんなだったっけ?春と冬が同居してて、気持ちもどこかくすぐったい。昔は大嫌いだったけど、今は花粉をのぞけば、どこにも属さないよなふわふわ感にシンパシーを覚えるのか、わりと好きになってきた。

今日は年に数回の最強吉日だそう。出かけたい気持ちをこらえて、イチゴ、仕上げます。

それにしても、早く花粉おさまらないかな。

 

 

 

3月

気がついたら、3月です。あたたかいと思ったら、激サムになったりと、花も咲きかかっては縮こまるような日々。そんな中で今日はいよいよ啓蟄だそう。お天気は雪予報だけど。

これはお試しで一部だけ作ってみたカレンダー。適当に過去作を割り振って作ってみたけど、3月になりあわててめくると、このコらが出てきてなごむ。勢いで描いたものだけど、一番の人気作だった。こんなふうに皆に喜んでもらえる作品がまた描けたらいいな。というのと、まだやってみたことないことにチャレンジしたい気持ちと。

このカレンダーは4月始まりにもできたけど、色々難ありで、今回の展示物販には却下になりました。その代わり?アクリルキーホルダーを下町ものづくりの町にて作ってみてます。うまく仕上がるといいな。。

 

博物館の夜

昨年末、それも明日大晦日みたいな日に
京都文化博物館別館での
「博物館の夜」
寺尾紗穂×原田郁子
対バンピアノライブのことを
知り、チケット残りわずかの文字に、
前日まで遠出しているという点で
一瞬迷ったけど、
でも行かないとあの世に行っても
後悔するに違いないと直感で思い、
決めてしまった。

帰ってきてから、この場所は
明治から1965年まで銀行として
使われていたということを知る。
1965年!つまり、私の生まれた年。
それも不思議な感じだ。
そして祖母が働いていた京大病院とは
徒歩30分くらい。
一度くらいは来たことあったのか、
まめに使う場所であったのかは
もう確かめようもないが、
そっか、おばあちゃんに
呼ばれたんだなとなんとなく腑に落ちた。
寺尾さんの誕生日は、偶然にも
私の息子の誕生日と
そして
戦死した祖父の命日と同じ日だった。

もうすでに長いが、
全部話すと何日もかかりそうだし
説明になるだけで
本質は何も伝わらない気がするので
まとめると

このライブで
ふたりは見えない人々のことを話題にし
一緒におどるように
ピアノはうたっていた。
この古くて美しい空間に
目には見えないものの
優しい気が満ち満ちて
喜びの空間になるのが
体感できた。

どんな日常も
見えていることより
見えていないことの方が広く深いのは
当たり前なのだけれど
なかなか気付けず日々が過ぎていく。
でも
あれからは
見えないものへも
もっと語りかけ
いきとしきいけるものと
見えないものも
喜びに溢れる世界になったらいいのにと
考える
というか
感じるようになった。

あれから、
沖縄栄町ひめゆりホールの屋上から録音された音が入っている
郁子ちゃんのアルバム「いま」に浸っていて、
イメージが広がり、
日々、救われています。

寺尾さんは文章も素晴らしい。

昨年はたくさんの女性の方の作品に
勇気をもたった一年だったけど、
年明けからうれしい出会いが連続の
音霊の旅だった。

見える人たち
見えない人たち
ありがとう。

ひかり

昨日今日と昇り始めのおひさまの光が、斜め東向きの窓に入るようになった。しかも赤い光。光は等しく無色なはずなのに、なんでかな。

先日は朝のドアのすきまから漏れる光が虹色になっていた。朝イチのおひさまの光の強さのせいと思われたけど、分光するものは見当たらない。

おひさまの昇る位置と光の強さが冬の終わりに近づいていることを教えてくれてるのは確かかな。晩夏というけれど、晩冬とはあまり言わないね。

そして、私も少しずつ早起きになってきたこの頃。